私はAmazon Echoをベビーユースしています。特にキッチンで家事をしている時に、音楽をかけたり、キッチンタイマーとして使うことが多いです。手を使わないし、複数のキッチンタイマーとして使えますからね。
Echo (エコー) 第2世代 - スマートスピーカー with Alexa、チャコール
さっき夕飯を作りながら、J-POPを流していたのです。その時に流れてきた歌詞にちょっとひっかりを覚えました。
星の数ほどいる人の中で
たった一人の存在
シェネル(Che’Nelle) - 君に贈る歌 ~Song For You
「星の数ほどいる人の中で、あなたに会えた奇跡」
的な歌詞は、かなりトラディショナルな歌詞でJ-POPの中では頻出であることは間違いありません。
でも、本当に奇跡なのでしょうか?
地球上で人口が7億人として、異性(異性をパートナーとしない方もいますが)が半分とすると3.5億人。とすれば、今のパートナーとであう確率は1/3.5憶なのか?
そこまでいかなくても、下記のようなツイートが回っています。
今付き合ってる人って凄いな。
— 高校生の言葉 (@koukousei_koto) 2018年11月1日
凄いと思ったらRT♪ pic.twitter.com/2MVYAHg0va
もちろん、奇跡を否定するつもりはありません。奇跡的な出会いをした人も少なからずいるはずです。それまで否定するつもりはありません。
しかし、思春期の時の「運命を信じる」という歳を大きく過ぎてしまった人間として、もう少し冷静になってもいいかな、と思います。
すこし切り口は違いますが、私が敬愛する佐藤尚之さんの著書にも似たよな表現があります。(私も購入して読みましたが、本の趣旨とこのブログ趣旨はまったく違いますから悪しからず。読んでない人は読んで見た方がいいですよ。ここに引用は表現のみの話です。)
明日のプランニング 伝わらない時代の「伝わる」方法 (講談社現代新書)
◆「情報“砂の一粒”時代」というおっそろしい情報環境◆
ある調査によると、2010年の1年間に、
世界には約1ゼタバイトの情報が流れたという。
ゼタバイトという単位、ボクは初めて知ったのだが、
これ、調べてみて驚いた。
1ゼタバイトは「世界中の砂浜の砂の数」なのだそうである。
具体的にイメージしてみてほしい。
たとえば日本を代表する砂浜のひとつである九十九里浜のすべての砂の数。
あれですら「無限」に近いと思いませんか?
でも、世界規模で見たら小さな日本にある小さな砂浜なのだ。
対象は世界中の砂浜だ。
世界中の砂浜の砂の数と同じ量の情報が、流れたというのである。
この現実から目を背けてはいけない。
情報発信者は、自分の発信する情報は世界中の砂粒1つ同じなのだから、絶対に相手に届かい、そこから始めなければならない。では、伝えるためには、、、
と続くのですが、すごく似ていると思うのですよね。分母が大きさから比べれば、分子なんか想像を絶するほど小さい。だから、そこの出会いは奇跡なのだと。
僕はこれを初めて聞いた時(本ではなく、講演で聞いたのですが)、
でもなー、まず届けたいのは日本人だからなーまず日本語以外の言語を絞れば1/100くらいになるんじゃないかなー
と思ったのです。また生み出したのはほとんどインターネットで、おそらく多くはソーシャルメディア関連や動画コンテンツ(Youtubeなど)だから、そのあたりをネグればそこまでではないな、と。
で、出会いの話に話を戻すと、確かに世界の人口は7億人いるかもしれません。が、日本語を話すのは、ほぼ日本人だけなので1.2憶人。異性はやくその半分で、自分のターゲットの人は、仮に自分を25歳女性とすると、広めに考えても22-39くらいなのではないでしょうか。そりゃ、18が好きとか枯専という人もいるでしょうが。。。
そして、その人の行動範囲を考えると、家-通勤-会社関係-友人が日常的に会う人ですよね。
また、それを運命を信じたい夢見る高校生くらいにと考えると、家族-通学-学校-バイト先くらいになりますよね。
そろそろ、
で、お前は何を言いたいのか?
と、言われそうですが、考えてみなければいけないのは、
到達可能性
です。自分がその母数にどれだけ到達(リーチ)できる可能性はどのくらいあるのか?です。
例えば、「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」に考えます。(村上春樹の短編にこのタイトルの小説があります)
100%の女の子は、ドイツ人かもしれませんし、オランダ人かもしれません。もしかしたら今は2歳かもしれないし、89歳かもしれない。4月が雨季の国に住んでいるかもしれないし、朝が極端に弱い子かもしれないという問題があります。
そして、そもそもその子が100%の自分にとってパーフェクトの子だと気づけるか?という問題がでてきます。
つまり、あらゆる言語が話せ、どこにでも同時に出没でき、相手が自分にとってパーフェクトかどうか一目で判断できる能力が必要になってきます。その能力があれば、到達可能性は100%だと言えます。
しかし、そんな人はいません。
誰しも、自分の行動範囲に出会いは限定されます。山手線で通学する東京の高校生と私もそうだったように自転車で通学する高校生では出会う人の分母が違います。県予選で1回戦負けするチームと全国大会で決勝戦にでるチームとでは会える人の幅が違います。(全国区のチームであればテレビや雑誌などでも取り上げられるし、女子アナやタレントにだって会える機会があります)
それでもまだ日本国内です。星の数の人には出会えません。
つまり、自分が会える人は、例え世の中に星の数ほど人がいるとしても、自分が到達できる範囲の人でしかないということが言えます。
なので、奇跡というほどのものではないのです。
結局のところ、至極当然な結果なのですが、自分の出会いを奇跡だと思いたいというのは否定さるべきことではないので、置いておくにしても、冷静に考えることも大事かなと思います。
逆に言えば、到達可能性をあげることができれば、例えば別の言語を習得するとか、今までと行動のステージをあげるとかすれば、出会いの数は飛躍的に増大していくはずですね。
奇跡は否定しませんよ!
では。