「〇〇の若者離れ」という言い方が一般化して久しい。
車、スキー、映画、恋愛などなど挙げればたくさんある。
検索するとこんな記事もある。
個人的にはこの件は1つには「お金の若者離れ」だと思っている。特に車なんて、お金を持てば購入する。今、ぶいぶい言わせている若い起業家なんて、こぞっていい車を購入している。お金があるからだ。わかりやすく自分の成功を他人に見せるのは、車というものは本当にわかりやすい。もちろん、成功している人でも車を持っていない人はいるけれど。
こんな記事を見た。
「『テレビ離れ』は本当か?」と聞かれたら、結論はもちろん「イエス」だ。各種データが示しているように、10代から20代までの若者の間では確実にテレビ離れが進行している。
本当に若者はテレビから離れているのだろうか?この点が、この件の2つ目の、そして根が深い問題と思う。
この記事を読んだ感想として、私がFBに書いたのはこんな感じのものだ。
ふと思うのは、「若者の〇〇」離れって、本当のところは「新規の若者をとってきてない」ってことだよね、と。
あたりまえだけど、若者は年を取るので10年前の若者は、今はオッサン。では、今の若者は10年前はなんだったか?っていうと、お子様であったわけだ。
世代の”中身”常に入れ替わっている。
なんか、そこを本当に理解していない人がいそうだから怖い。人が入れ替わっているのだから、そこにウケるものを作らないとだめだよ。それだけ。
たまに作られた”セグメント”を一人の人のように考える人がいる。もちろん、マーケティング上、そのうように扱うことは多い。しかし、セグメントの1つである”世代”の扱いは気を付けなければならない。
例えば、団塊世代といえば、今はアラウンド70代だ。しかし、『団塊の世代(堺屋太一)』が書かれた1976年当時は、彼らはアラサーくらいだった。つまり、この場合の世代は、時代とともに持ち上がる。その時の団塊世代の年齢があてはめられる。
これが「若者」とか「10代」「20代」とういい方になると変わってくる。固定されるのは、個人でなく、その年代の人だ。団塊世代は、いくつになっても団塊世代だが、10年前の10代と今の10代は違う。中身が入れ替わっているのだ。
当たり前じゃん!!と言われるだろう。
すごく当たり前だ。
では、改めて先の記述を見てみよう。
10代から20代までの若者の間では確実にテレビ離れが進行している。
離れるという行為は、近づいている状態から距離をとる行為をさす。
果たして、今の10代はテレビに近づいたことはあるのだろうか?
これは表現上のことで、そんなことはわかっている!という人もいるだろう。でも、本当にこのことに気付けない人達がいるから怖い。10年前の20代は今の30代で、今の20代は10年前の10代である。
順をおって考えれば簡単にわかることなのだが、その順を追って考える手間を省いてしまう人達がそれなりに存在するのだと思う。
そういう人が「〇〇の若者離れ」という表現を考え無しで使ってしまうのだと思う。
離れたのは若者ではなく、自分達(の意識)なのだ。
今後、10代がテレビを見るようになるか?と言われれば、ほぼ確実にないと言える。なぜなら、今、テレビを見ていないから。(この場合のテレビは地上波のリアルタイムのこと)テレビの受像機ということであれば見ているかもしれないけど。録画やHulu、Netflixなどで。
奇しくも、その裏付けが先ほどの記事に書いてある。
NHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)はなぜあんなに視聴率が高いのか。それは習慣だからだ。面白いから見ているわけではない。
そう、習慣だからだ。小学生までに習慣になっていない行為を10代になっていきなり始めるか?と言えば、それは大変難しい。全く初めての体験であれば可能な点もあるが、テレビの競合となるYoutubeは、それこそ2歳くらいから親から見させられているのだから。
今の子育て世代で、子供にスマホでYoutubeなどを見せいない人は少数派だ。2歳くらいから、動画コンテンツはスマホで見るという習慣を持った子供達に、今のテレビは全く勝負にならない。
今後の若者を獲得したいという人達は、自ら獲得に行かなければならない。自分達と違う習慣で育った人達を。これまでは自分と年も近く、ライフスタイルも想像できたかもしれないけれど、自分達が年を取り、いざ若者を獲得しなければならない時、その世代から離れているのは、自分自身の考え、行動、想像力であることに早く気付いた方がよい。